患者さんと
ご家族へのインタビュー
〜血友病と生きる
私たちのいろんな気持ち〜
血友病であることを言い訳にして過ごしたくない。-望月優希さん(美容師)(1/4)
看護師の母親に学び、中学生の頃から自己注射を行うようになる。
血友病であることを意識したのは小学生の頃です。血友病の詳しいことはもちろん理解できるわけもなく、走っちゃいけない、野球もサッカーもバスケットボールもしてはいけないと言われ、どうしてなんだろうと思っていました。やってもよいと言われたのは水泳くらいで、子供心に悲しかった思い出があります。
家族や親戚に血友病の患者はいないです。遺伝子の突然変異による血友病と診断されました。姉2人もまったく問題ありません。母親にしたら、「どうして?」という思いは強かったでしょうね。とても辛かったと思います。子供の私の方が、何も考えていなかったかもしれません。
定期補充療法は、物心ついた頃から行っていました。母親が看護師だったこともあって、注射はとても上手だったんです。だから、私の場合はずっと母親に頼ってしまうところがあって、自己注射をするようになったのはだいぶ後になってからです。サマーキャンプなどに行って、注射を覚えて帰ってきても、家では自分ではやらないという時期が続きました。
中学生くらいになると、病気のことも理解できたし、どのくらいのことをしたら痛みが出るか、どのくらい腫れるか、ということもわかってきたので、自分でも注射をするようになりました。中学校の同級生は私の病気のことを知っていて、修学旅行のときなど、同じ部屋でみんなの前で注射をすることもありました。友達がどう思っていたかはわかりませんが、理解はしてくれていたと思います。「注射しなくていいの?」と言ってくれる子もいたし、いま思うと、みんなが受け入れてくれるよい環境だったと思います。
やっぱりスポーツがしたかったんでしょうね。一番楽そう、という理由で、中学では卓球部に入りました。でも全然楽ではなくて、思っていたのとは全然違って練習はきつく、だんだん体も悲鳴を上げてくる。特に腸腰筋出血がひどくて、なかなか治らないこともありました。それでも県大会で上位の成績を残すことができたし、よく頑張ったと思います。
血友病でも、普通に生きていける。
頑張っていける。
いまでもそうですが、病気という意識は薄かったと思います。運動が制限されていたとか、足首の関節が痛いとか、そういうことはありましたが、凝固因子製剤を使っていれば、血友病でない人とそれほど変わらない生活が送れていましたから。
高校生のときに、同じクラスに心臓を患っていた友達がいたんです。それもすごく重症で、日常生活での制限は自分の比ではありませんでした。彼は大学2年生の時に、もっと勉強したいと言いながら亡くなりました。そんな経験もあったので、血友病でも普通に生きていくことができる、頑張っていける、と思うことができたような気がします。私の場合、勉強は嫌いでしたが、得意なことなら誰にも負けないという気持ちを持つことができました。