患者さんと
ご家族へのインタビュー
〜血友病と生きる
私たちのいろんな気持ち〜

血友病インヒビターにより日常生活が厳しく制限され辛い時期もあったけれど、今は昨日より今日、今日より明日が楽しいー丹野 福士 さん(大学生)(1/4)

No.05 丹野 福士 さん(大学生)血友病インヒビターにより出血リスクが高まり、日常生活が厳しく制限され、辛い時期もあったけれど、今は、昨日より今日、今日より明日が楽しい

生まれた時から血友病の治療をずっと受けてきたけれど、
どのような病気なのかをしっかりと理解できたのは、
高校時代に生物の授業を受けた時

叔父が血友病のこともあって、生まれてから早い段階で血友病と診断され、当初は病院に通って定期補充療法(出血予防を目的とした凝固因子製剤の定期輸注)を受けていたようです。その後は家庭療法に移行し、親が定期的に静脈内投与を行ってくれていました。

病院の先生や親から病気についての説明は受けていたかもしれませんが、あまりよく覚えておらず、定期補充療法を受けてはいるものの、しっかりとは理解できていませんでした。そのせいか、親から「これをしてはいけません」、「あれをしてはいけません」と、口酸っぱく注意されていたみたいですが、私はあまり言うことをきかず、しょっちゅう出血をしていたように思います。

血友病が「遺伝性の病気で、血液中に含まれる血液凝固因子のうち、血液凝固第VIII因子と第IX因子のいずれかが欠乏しているために起こる出血性の病気」だということをしっかりと理解できたのは、高校生になり生物の授業で遺伝について学んだ時でした。

それまでは、「なぜ? どうして自分だけ?」という気持ちがどこかにあったのですが、この時にようやく初めて、病気が治らないことや、なぜ自分は出血しやすいのか、なぜ定期補充療法を受けなければならないのかなどを理解し、これまでの疑問が全て解けたような感じがして、すっきりしたことを覚えています。

血友病インヒビターができてしまい、
小学校時代に一時的に車いす生活に──
「なぜ?どうして自分だけ?」の気持ちが強かった

「なぜ? どうして自分だけ?」という気持ちが強かった理由は、病気のことがよく分かっていなかったことに加えて、日常生活の制限が厳しかったことがあります。

小学校に入学した当初こそ普通に生活をしていたのですが、その後、凝固因子製剤に対するインヒビターができてしまい、定期補充療法の効果が乏しくなりました。頻繁に出血を繰り返していたために、体育は水泳だけ、普段の学校生活も補助の先生についていただき、一緒に過ごすといった具合でした。

小学校3年生の時には、インヒビターをなくす治療のために8カ月間ほど入院しました。しかし、退院後も、動けば出血するぐらいに出血リスクが高かったため、"絶対安静"が厳命されていました。運動機能的には何も問題がなかったのですが、主治医が、「口で注意しても言うことをきかずに動き回ってしまう年頃なので、それを防ぐために車いすで生活してもらおう」と判断したようです。

私は、学校では車いすの生活をしていても、家に帰ってくれば、杖をつきながらゴソゴソと動き回っていたので、「こんなに動けるのに、どうして学校では車いすを使わなければならないの?」と疑問を持つようになり、「なぜ? どうして自分だけ?」という気持ちがさらに強くなっていったように思います。