患者さんと
ご家族へのインタビュー
〜血友病と生きる
私たちのいろんな気持ち〜

小さい頃は出血して入院を繰り返していたが、今では定期補充療法により出血もなく、充実した日々を過ごす。ー江端 隆寿 さん(社会人)(1/3)

No.04 江端 隆寿 さん(社会人)遊びもスポーツも……家族に支えられ、病気を気にすることなく、自分がやりたいように。小さい頃は出血して入院を繰り返していたが、今では定期補充療法により出血もなく、充実した日々を過ごす。

遊びも運動も……生活を制限されず、
病気であることを意識しなかった

私が1歳の頃、親があざ(内出血)に気付き、病院を受診したところ、血友病だと診断されたそうです。その後は、何かあれば病院に行き、治療を受けていました。

親は、北海道の患者会である『道友会(北海道ヘモフィリア友の会)』に参加し、血友病について学んだり、他の親たちと情報を交換したりして交流を深めたようです。また、小・中学校や高校の担任の先生には、私が血友病であることを伝えていたみたいです。

私は血友病と診断された後も、親から、「これはだめ」、「あれもだめ」と言われた覚えがなく、生活上、何かが制限されたことはなかったように思います。友達と遊ぶことや、体育の授業や運動会に参加すること、遠足や修学旅行に行くことなど、何でも友達と同じように、自分が好きなようにやってきました。

おそらく、親から血友病であることを教えてもらったと思うのですが、その記憶は全くなく、自分が血友病であることを気にしたこともほとんどありませんでした。そのため、そのことを友達に伝えることさえ頭になく、周りの誰にも話したことはありませんでした。

小さい頃は、友達と同じように遊んだり悪ふざけをしたりしていたので、つい体をぶつけたり転んだりして、皮下出血や外傷出血はもちろん、筋肉内や関節内にも出血を起こし、手足や関節が腫れ上がって動けなくなり、入院することがしばしばありました。

小学校1〜2年の頃だったと思いますが、友達と体育館の倉庫に忍び込み、遊んでいた時に、跳び箱の角に脇腹を強くぶつけたことがありました。それで腎臓を傷つけたらしく、家に帰ると真っ赤なおしっこ(血尿)が出て、親が大慌てで私を病院に連れて行くと、そのまま、かなり長い間、入院することになったこともあります。

中学3年生の時、脳出血を3回繰り返し、
高校生になった時から定期補充療法を開始

中学3年生になった春には、どこかにぶつけたわけでもないのに、朝起きたら突然、倒れてしまい緊急搬送されました。頭蓋内出血(くも膜下出血)を起こしていたそうです。ようやく治って退院したものの、その年の冬に再発し、再び入院となりました。さらに、卒業前に3回目の頭蓋内出血を起こして入院することになりました。

そのため高校は、入学式こそ入院中の病院から参列しましたが、約1カ月遅れで通い始めました。その頃から家で週2回、最初は親に注射をしてもらうかたちで定期補充療法を始め、しばらくして自己注射のやり方を教えてもらい、それ以降は自分で注射をするようになりました。