患者さんと
ご家族へのインタビュー
〜血友病と生きる
私たちのいろんな気持ち〜
小さい頃は出血して入院を繰り返していたが、今では定期補充療法により出血もなく、充実した日々を過ごす。ー江端 隆寿 さん(社会人)(2/3)
成長とともに激しく動くこともなくなり、
自分で「やってはいけないこと」が分かるように
成長するとともに、誰しも、激しく動きまわることが少なくなっていきます。私も成長に従い無茶をしなくなり、自分自身で「これぐらいなら大丈夫」、「これ以上やると危ない」といったことが何となく分かってきて、とんでもなく危険なことはやらなくなっていきました。
それでも大学1回生の時、友達とキャンプに行き、みんなと一緒に走り回っていると、左足首で「ブチッ!」という音がしたと同時に激痛が走り、そのまま左足を使って歩けなくなりました。そんな状態でも、動く方の右足でケンケンしながら遊び回っていました。翌日、腫れ上がった左足をかばいながら、自分で車を運転して家に帰り病院に行ったら、案の定、松葉づえでしばらく生活することになってしまいました。
私は、入院するとひどく落ち込んで反省するのですが、退院する頃には自分が何をしたのかをすっかり忘れてしまう性格のため、大学生ぐらいまではこのような無茶をしては出血し、腫れて動けなくなって入院することがありました。しかし、定期補充療法を始めてからは、出血して入院することは格段に減り、社会人1年目に血尿で一度入院した以外、血友病に関する入院はなくなりました。
現在は、週2回の定期補充療法に加えて、友達と遊びに出かける用事があれば、前もって予備的補充療法を行うようにしているからか、ついふざけて、「あ、やばいかな」と思うようなことをやってしまっても、症状そのものも以前ほどはひどくならなくなりました。
血友病の人が補充療法をするのは、
近視の人が眼鏡やコンタクトレンズをするのと同じ
くも膜下出血を起こした後、一時的に言語障害がみられたものの、今ではそれも完全に回復し、麻痺も残りませんでした。しかし、左足首は関節内出血がくせになっていて、関節の可動域も狭くなっています。高校生の頃には、主治医から「軟骨が溶けてなくなっている」と言われていますが、それでも歩いたり走ったりできるので、血友病であることを含めて、病気についてはほとんど気にしていません。
これは、私が物事をあまり深く考えない性格だからなのかもしれません。ただ、血友病は生まれた時からの病気で、生活の一部のようなものですし、現実的に、血友病であることを自分がいくら深く考えたところで、どうなるものでもありません。
今から5〜6年ほど前、小さい頃に親と一緒に参加していた道友会で主治医が講演をするというので、久しぶりに参加しました。そこで、主治医から「血友病といっても、第VIII因子が足りないだけだから、それを足せばいいだけ。それは、近視の人が眼鏡やコンタクトレンズをするのと一緒」といったような話を聞きました。
個人の性格もあると思いますが、私のような性格でなくても、「血友病になったことは、なったこと」として受け止め、「補充療法で足りないものを足せばいいだけ」というぐらいの軽い気持ちでいた方がいいのではないかと感じています。